天は〈記憶力人〉と〈思考力人〉とに分けました。

記憶力のある者は〈思考力〉をおろそかにしがちです。

記憶力なき者は〈自分としたことが〉と発奮して

その〈記憶力〉が劣っているのを補うために

持前の〈思考力〉で〈記憶力〉を補うのです。


入試に失敗したからと悲観することはない。

実社会においては〈記憶力〉のある人よりも、

〈思考力〉のある人を必要としているものです。


東大に気軽く合格する人は〈記憶力〉が強い人です。

卒業したら〈思考力〉がある者が出世しています。

誰でも数字に強くなれるものです。

人間の頭脳は、

〇から九までしか数えることが出来ません。

九の次はわからないので、〇に一度戻り、

その一回目が一〇であります。

その一〇の一〇回目が一〇〇となって、

その一〇〇の一〇回目が一〇〇〇となり、

その繰りかえしを十進法といっています。


掛算は足算、割算は引算を簡略化したもです。

その足算と引算ができれば

〈計算に強い人〉になることが出来るのです。

〈どうしてもこれはだけは絶対成功したい〉と

思っていることを成し遂げるためには、

どんな事態になっても絶対堪え忍ぶ忍耐と、

どんな孤独にもへこたれずに、

〈俺としたことが〉と、孤独を恐れないで

〈何くそ〉という根性が必要であります。


お金だけを最大の武器として、

楽しくて気軽に儲かることを成し遂げたときには、

〈そのように気軽に儲かるのであるならば〉と

それ以上の資本力のあるライバルが現われ

甚大なる打撃を被る危険が潜んでいるときです。

手紙や文書を書くとき、

漢字のド忘れでよく辞典の世話になります。

文字を知るのに辞典の世話になりますが、

そのときもののついでにと

その〈文字の字義〉の解釈を熟知すれば、

ド忘れが幸いして語学に強くなれます。

外国語がどんなに巧みでも

「学のある人!」とは言わず、

漢字の字義を少々披露しただけで

「学がある人だ!」と言われるようになります。

そのうえ字義そのものに詳しくなれば

「六法全書」の法解釈もよくわるようになります。

反省とは己自身を指しているのであります。

己の反省の中味を他の関係者からみれば

ただ言い訳を言っているに過ぎないものです。


自分の作品の出来映えが、

〈八〇点であった〉と自己採点したうえで、

「自分は一〇〇点の作品をつくる能力がある」と

言ってもそれを聞いた人びとは

「八〇点の能力しかないのに」と

あざ笑いして信用してくれないものです。

〈反省は他人のものではない〉と

己の心に秘めて次回のチャンスを待つべきです。

武術が長けているだけでは大名になれないのです。

知術が長けているほうが大名になれるのです。


交渉ごとが上手だけでは社長にはなれないのです。

才覚に長けているほうが社長になれるのです。


発想は素人の好奇心から特異性が

醸し出すものです。

玄人は玄人なるがゆえに

過去の体験にこだわると特異性が生じません。

特異性は異業種からヒントを得るとよいのです。

〈素人の恐ろしさ、玄人の浅ましさ〉

積極的な行動をして失敗することもあれば、

消極的であっても成功することがあります。

何れも〈無理であった〉か、〈無理でない〉かは

結果がでてからでないと判断できないものです。

失敗したとき

自分は〈無理をしていない〉と思っても、

その失敗した要因そのものが〈無理である〉ことを

自分自身が〈気づいていない〉ことがあります。

だからといって〈無理をしていないだろうか?〉と

迷いながらの行動は消極的になります。

成功は危険を伴うのですが消極では何もできません。

消極的は失敗しない替わりに成功をも犠牲にします。

世間では、人の成功を妬んで失敗を喜ぶ人がいます。

だけど、同情されるよりは妬まれるほうがましです。

失敗だけはしたくないものです。

昔から〈他人が蔵立てたら腹が立つ〉と

よく言ったものです。


美味しい料理ほど最後の番茶が旨いものです。

ものごとの総ては余韻がもっとも大切です。


この世に〈何の為に生まれてきたか〉を詮索するより、

この世に〈ものの弾みで生まれた〉と気づいたならば、

〈今から何をすべきか〉がより大切な人生目標です。